金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2015年12月

その202「ラジオ放送の刺激?

「安価で、軽く、踏んでも割れない、団扇のようにも使えるウオルドレコード」のことは以前に館長ブログ(その177)に書いた。

 大正1431日から東京でラジオの試験放送が開始された。放送される以前には、レコードは売れなくなり打撃を受けるのではとレコード会社や販売店はビクビク。相撲までも、見る人が減るのではと言われたという。
ふたを開けてみると、全く逆でむしろラジオは味方だと確認された。

 こうなると新しいレコード会社が続々と生まれてきた。
横浜に日本楽器のパイオニアレコード、大阪に特許レコード、内外レコード、ウオルドレコードが生まれ、名古屋では大和(やまと)蓄音器(アサヒレコード)などが誕生した。

 そんな中で大阪尼崎、金鳥印の特許レコードは、ウオルドレコードと同様「踏んでもたたいても破れぬレコード」を発売。
6インチ、7インチ、8インチなどの小さな盤が中心だったが、12インチ盤で10分以上、10インチ盤でも従来の12インチ盤の録音時間を収録した。7インチ両面盤で正価50銭として、お得感を出した宣伝をした。

「小唄」「オーケストラ」「支那楽」「合奏」「義太夫」「浪花節」など様々なジャンルのレコードを作り、その安価で簡便な特長を生かして「バタフライレーベル」の童謡も多く作っている。

当時は「ラッパ吹込み」時代だったが、マイクロフォンを使った「電気吹き込み」の録音で綺麗な音であることも伝えている。

 昭和22月新譜の発売を知らせるポスターには、「はがきレコード」が載っている。歩兵37連隊吹込みで「軍隊ラッパ集」6枚組で90銭。
115銭のはがきで音が送れる訳だ。
当時の新聞では、なかなか売れ行きがいいらしいと報じている。

 ラジオは、レコードにもいろいろな工夫と刺激を与えたのかもしれない。


金鳥印の特許レコード
浪花節「水戸黄門」10インチ盤


蝶印のバタフライレコード
童謡「関取り人形」7インチ盤


昭和2年2月発売新譜の特許レコード
ポスター
その201「玉音放送が入ったLPレコード

 毎年815日の終戦記念日近くになると、各マスコミはこぞって終戦記念日特集を組む。

今年(平成27年)も、昭和天皇の終戦時の玉音放送盤について大々的に報道された。昭和20815日正午には戦争終結をつげるため天皇自らがラジオ放送を行った。軍部や国民の混乱をさけるためだった。
その声は秘かに事前に録音されたもので、その原盤の実物が今回発表された。

 

金沢蓄音器館には、LPレコードに入れた天皇の詔勅が3枚ある。

1枚目は、1968(昭和43)年に日本グラモフォンが発売したポリドールレーベルの「昭和の記録」(LP2枚組、定価3500円)だ。NHKが監修し、宮田輝アナウンサーが解説したものだ。

2枚目は桐箱に入っており、1971(昭和46)年に作られた「万世の為に太平を開くー天皇陛下のご聖断―」と書かれたLP1枚だ。御前会議に出席した当時書記官長(今の内閣官房長官)だった迫水久常氏が作った非売品である。

3枚目は、1981(昭和56)年NHKサービスセンターの企画で「天皇陛下」と題したLP3枚のセット物だ。2万円の定価がついている。

23ともに東芝EMIがプレスした。

 

この2種類のレコードを制作した元東芝EMI制作部長だった千野一彦(ちの・かずひこ)さんから完成までのいきさつを伺った。

千野さんは「迫水久常さんから非売品として特別に作ってほしいと依頼があり制作しましたが、丁度選挙前だったため警察からいろいろ尋ねられた思い出があります」という。

「また、(3つ目の)NHK2枚組はレコード特約店ルートで販売したもので、販売する店でのセールストークや販売方法など細部にわたるまで留意するよう社長指示がありました。随分と気を使ったものです」と懐かしく当時を語った。

 

戦前、録音テープなどはなく、直に原盤に録音した。原盤はアルミニュームの板にアセテート素材を塗ったものだった。だが、いずれそれが剥がれてしまい、音を聞くことが出来なくなってしまう。LPに復刻しておけば後世でも音は残る。売って儲けようというよりも歴史の一こまを残したい思いが強かったのではと思う。


昭和43年発売「昭和の記録」LP2枚組

昭和46年製作「万世の為に太平を開く」
桐箱入り、LP1枚もの

昭和56年製作「天皇陛下」
LP3枚組

アルミニュームにアセテートを塗った盤
年月が経つとアセテートが剥離

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