近代日本を支えた偉人たち 【清水 誠】
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日本で最初のマッチを作った
清水 誠 (しみず まこと)
弘化2年(1845)年~明治32(1899)年
石川県金沢市御徒町(東山)生まれ
石川県金沢市御徒町(東山)生まれ
金沢市御徒町(東山)で嶺新兵衛の6男として生まれました。15歳の時父が亡くなり清水家の養子となります。24歳の時、フランスに留学、この留学中に、日本へ帰ってからマッチを作ろうと決心します。誠が作ったマッチは、とても評判が良かったため、「新燧社」(しんすいしゃ)という大きな工場を作りました。その翌年、誠は再びフランスに行きますが、この間に工場は火事で燃えてしまいます。誠は今までより安全で使いやすい「安全マッチ」の勉強をして帰国し、新しいマッチを作る工場を作りました。誠は誰にでもマッチの作り方を教えたので、日本中にたくさんのマッチ工場ができました。そして誠の作った安全マッチは日本だけではなく、外国にも輸出されるようになりました。その後、マッチを作る機械も発明しました。
28歳の時には、金星の太陽面通過を観測し、日本人として初めてその写真撮影にも成功しています。
清水が最初に設立したマッチ会社「新燧社」の「燧」には「火打ち石」という意味があります。つまり「新燧社」とは「新しい火打ち石の会社」ということになります。
国産マッチ発祥の地
清水誠がマッチ製造を始めた「新燧社(しんすいしゃ)」のあった場所に、「国産マッチ発祥の地」と刻まれた碑があります。場所は墨田区江東橋1丁目、両国高等学校の敷地内です。
『かなざわ偉人物語』 | 金沢こども読書研究会、1997、金沢市立泉野図書館 |
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